戦争をおこなっていたにも係らず松山のロシア人捕虜の処遇は実に寛大であったといわれている。外出は自由。道後温泉入浴、海水浴、市内施設での観劇など戦時とは思えぬほど人道的なものであった。投降してきたロシア兵が「マツヤマ」と叫びながら手を上げたという有名な話も残っている。それほどの厚遇ではあったが、遠く故郷を想いながら亡くなった捕虜はワシリー・ボイスマン大佐他97名。松山の人々はこれらロシアの人々を手厚く葬り、供養に努めてきた。この尊い行為に感謝し「日露友好のかけ橋」としてボイスマン大佐の像がロシアより寄贈され1994年にこの地に建立されている。このロシア人墓地には、伊予鉄道の運行するマドンナバスで行くことができる。