軽之神社 松山市姫原1丁目
古事記によれば、第十九代允恭天皇の御代。ときの皇太子木梨軽皇子は実妹である軽大郎女と激しい恋に陥ってしまった。これを理由に第一皇位継承権を実弟の穴穂皇子(後の安康天皇)に奪われ、皇位を追われた軽皇子は、伊予の国へ流されてしまう。軽皇女はその後を追い、ここ姫原に隠れ住んだという言い伝えがある。しかし、二人には追手がかかり逃げ切れぬと悟った二人は手を取り合って自害したとされている。軽之神社社記によれば往昔、斯多那岐宮ともいい、また姫原社とも称えたとされる。地名の姫原、背後の山を軽の山というのも軽皇女の御名に由来する。軽の山には、二人の墓「比翼塚」があり、石塔には「姫墓所」の三文字が刻まれているといわれる。